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カンボジアMoG 7日目商品をつくる責任

カンボジアMoG 1日目 カンボジアMoG始まる。

2016年9月10日から始まったMoG。思えば2008年6月の創業以来、法人向けも入れると30回以上やっている。今回の相手は「Khmer Creation」と「Cambodia Knits」という会社。KCとCKと呼んでいます。KC: http://www.khmercreations.org/CK: http://cambodiaknits.com/「社会企業」って自分たちで呼んでるから、そのつもりなんだろうけどどうせ色々と残念な事実も多く出てくるだろうなーと思いながらも12名のMoG参加者(モガー)と立ち向かう。6月から日本国内で約40時間ほどのトレーニングを積んで現地にきたので、皆の腕の見せどころでもあり、自らの無力さの理解の日々にもなるはず。KCはもともとカナダ人のMonicaという女性からはじまった会社で、CKは豪州人のJaneから始まった会社です。カンボジアという国は約122万人の人々が19年間の内戦のなかで殺されました。約7割が民間人で兵士ではなかったことから多くの悲しすぎる、そして残忍な物語がそこらじゅうで生まれました。そのために1993年の国連が介入して政府をきちんと樹立するまでは本当に貧しい国だったのです。もう一つの特徴は、優秀な知識層が全員殺されたので優秀なDNAがほぼ残っていないと言われていることです。計算ができない、文字が書けない、自分で考えられないなどの特徴はお国柄というものではなく、優秀層が殺されたことに大きく起因しそうです。CKはそんなカンボジアで子ども向けのニット商品を、KCはアクセサリーを、販売しています。いずれも、BOP層(貧困)の女性たちの雇用を作り、さらにその彼女たちの教育を通じて”自立”してもらうことが目的。こう書くと、”よくあるNPOだね感”が充満してますが、そこをどう料理するのかも問われています。商品の機能的価値と情緒価値の両方を満たしていく、特にアクセサリー市場について考え抜くというのはなかなか大変なことです。。。男性なので女性の購買感覚の気持ちが非常にわかりづらくもある。こうご期待。

カンボジアMoG 0日目 カンボジアとスガヤ

私、菅谷にとってカンボジアは本当に思い出深い場所なのです。学生時代の98年に訪れたカンボジア。当時はまだ色々なうわさがバックパッカーのなかでも飛び交ってました。「ポルポトの残党が前に出たバスの乗客を全員射殺して金品を奪ったぞ」とかそんな物騒な話ばっかりで、僕も含めて”冒険”している感覚と見知らぬ世界に飛び込めて行ける映画の主人公にでもなれるような気分で航空券を買ってカンボジア(だけじゃないけど)に行ってたなと思いだします。当時のカンボジアは”ビックマック”と呼ばれる5$程度で買える売春婦たちが街中に溢れるほどに貧しく、その価格帯がお金のないバックパッカーにも十分に購入可能な範囲として身近に売春婦が存在していました。そこら中で成人女性から子どもまで売られていた。しかも、女性だけなく男の子も。98年のとある日バックパッカーの集まる安宿にいくと、何カ月も住んでる主みたいなのがいて、そいつが「”おきや”にいくけど、だれか行かないか~?」ってドミトリーのなかで叫ぶと「オレもいきやっす!」みたいなバカ面したのがぞろぞろと出てきて、5,6人で”オキヤ”に向かうってことがあった。置屋っていう言葉を知らなかった僕は一緒についていき、オキヤの意味を知った淡い19歳。そんな馬鹿面の諸先輩方の行動を激しく批判的に見ていて、「アンタにプライドや良心はないのか?」って食って掛かってた。当時の僕は「買春をする人=悪」の方程式が普通に存在していて、そのたびに、菅谷=”純粋少年”=童貞少年と扱われからかわれながらも、その分、生意気な口をきいても仲間には入れて貰えました。首都のプノンペンでは伝説のバックパック宿の「キャピタルゲストハウス」が定宿でした。値段はもう覚えていないけどきっと1泊2$とか3$とかそんなもんだったに違いないです。時々、銃声が夜中に聞こえてくるような今思えば治安もまだよくない町でした。ある日、昼間にキャピタルゲストハウスの近くにあるさびれた食堂に入ったときに、2人の日本人の親父が昼間からビールを飲んで話していました。「いや、池田さん昨夜はどうでした? やっぱりね、痛がって泣いちゃったりして困ったけど、やることはやっちゃいましたよーぅ。」幸せそうなオッサンだった。何の話かと思えば、昨夜相手した売春婦の話でした。僕が日本人であることに気付いているのか怪訝でしたが、今なら分かります、例え僕が日本人であろうとなかろうとその手の話を堂々と話すんだろうなと。黙々と僕は扇風機の音と外の車の音だけを聞こうと頼んだチキンチャーハンを食す。タイに引き続き、堂々と日本語でSEXの話をする人間は今でもあまり好きじゃない。純粋に下品だし、ましてやジジイの話なんか犬どころか豚も食わない。だが、ヒトはきっと自由だ。言論も自由なんだと字面だけ理解していたので黙ってました。「池田さん、やっぱりね今夜は12歳でいきましょう。昨夜の9歳の女の子は小さすぎて泣いちゃうから」もう・・ダメでした。僕は出された熱いお茶だったのかコーヒーだったのかをジジイ2人に向かって投げつけて何かを怒鳴り散らしました・・もはや何を伝えたのかも良く分からないけど、ジジイと大喧嘩になっていました。その後のことは不思議とよく覚えていません。宿に戻ったのか、なんなのか・・そして、僕はなんだかわからないこの得も知れぬ貧困のことや格差から生じる悲しい物語に興味を持ち、また同時に心が死んでいくこのジジイのような精神性の成り立ちにも興味を持ち、国際協力の活動に没頭することになったのでした。19歳のある意味で淡くもセピア色な感じのするカンボジアの日々。あれから、18年間。僕は心も体も大きくなりました。特に体は。2016年9月・・再度、この自分が世界の様々な社会課題解決に人生を捧げようと思えたこのプノンペンの地でプロジェクトをすることとなったのさ。